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黒沢峠

秋田県横手市山内黒沢字上ノ山

黒沢峠は白木峠ととかく混同された。『大日本地名辞典』にも誤記されている。正しくは、黒沢峠は上ノ山・巣郷間の分水嶺(ぶんすいれい)で、旧秀衡(ひでひら)街道の峠だ。それは『秋田県綜合(そうごう)郷土研究』に記載されている。この黒沢峠は戦国時代、長年角逐(かくちく)して譲らなかった和賀・小野寺両氏の最前線だったから、小野寺氏が黒沢・南郷・筏等に城砦(じょうさい)を築き南郷坂道と大穴峠道も開削(かいさく)した。ちなみに、南郷坂道は後の世まで続いて、村道南郷黒沢線(現在は県道)として昭和59年に改修を終え、重要なアクセス路線となった。その開通記念碑が字石田に造立されている。

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黒沢峠遠望

黒沢峠は時代が降ると、南部・佐竹両藩の藩境となる。慶応4(1868)年横手城の焼亡を招いた戊辰(ぼしん)戦争の際は、南部藩が「越中畑より巣郷迄(まで)千五百人」(『澤内年代記』による)の将兵を配備したため、佐竹藩も横手城の家臣を派兵し黒沢峠付近を挟んで対陣した。その時砲台(台場)と番小屋が築造されたと、『秋田藩賞典録』に明記されているが、台場の跡は口承もあいまいになり定かでない。当時軍営の食料・用材などを提供し、後に金一封(五百疋)をもって賞されたのは佐々木長右衛門であり、賞詞は子孫の秀雄氏が所蔵している。